神社の狛犬(獅子とユニコーン)
(出典:2018年12月 牛込キリスト教会)
日本の「天皇」は、外国で言うところの「王様」と「法王」の両方を兼ね備えています。「皇室」について調べていると、最も邪魔をしているのが日本の歴史学者や民俗学者であることがすぐに理解できるようになります。彼らの書いた文献を読めば読むほど、頭が混乱してくるのが現状です。
2018年4月、新元号「令和」で注目されたのが福岡県太宰府市です。「令和」の由来となった万葉集の序文には、市内にある「坂本八幡宮」が舞台と言われています。その前に鎮座しているのが「獅子」と「狛犬」です。
日本の神社の前に座す獅子(ライオン)は、古来から日本には存在していません。動物園にはいますが、一角獣である狛犬(ユニコーン)もこの世には存在しない動物です。
古代イスラエルは南北2つの王国に分裂していますが、当時のイスラエル12部族の一つであるユダ族(南ユダ王国)の象徴は獅子であり、エフライム族(北イスラエル王国)の預言に示されている象徴がユニコーンです。
一方、京都御所の狛犬が獅子と一角獣になっています。その理由は、天皇家が北イスラエル王国の王族であったエフライム族から来たからではないかと思われます。つまり、南朝のリーダーがユダ族で、北朝のリーダーがエフライム族であり、日本が建国されたことにも関係があるということです。
聖書を読んでいると、失われた10支族は世界中に散らばっており、ユダ族の率いる南ユダ王国の子孫とエフライム族の率いる北イスラエル王国の子孫が、終わりの時代になって一つにされ、結ばれてイスラエルの全支族が結集する、という預言が書いてあります。
獅子と一角獣を並べて置く形は、エフライム族の子孫として、その聖書預言への信仰を表しているのではないかということです。例えば、日本人に人気が高い聖徳太子もイエス・キリストも聖人君主と呼ばれています。
聖徳太子ってどんな人?年表や十七条憲法を小学生向けに解説
(出典:歴史をわかりやすく解説!ヒストリーランド)
聖徳太子は、「冠位十二階」を与え、イエス・キリストも「12人の弟子(使徒)」を従えていました。両者には、これ以外にも様々な類似点があります。また、伊勢神宮にいる神様はキリスト教と一致している象徴が見つかっています。
つまり、秦氏は原始キリスト教を信仰していたことになるわけです。だから、秦氏の「秦」という漢字は「3つの木」で成立しています。天の父(神)と御子(イエス)、そして聖霊によって、この世が成り立っていると伝えているということです。
イエス・キリストは、三位一体という仕組みによってこの世界が創られていることを弟子たちにはっきりと説明しています。一方、「聖徳太子」は小・中・高の教科書で仏教の普及に努めたことが強調されるあまり、逆に聖徳太子と神道との関係については世間一般ではほとんど知られてはいません。
私がたまに行く札幌伏見稲荷神社は、聖徳太子の神道であるイスラエルの唯一神「INaRI=Ilesus Nazarenus Rex Iudaeorum(ラテン語)」、要するにユダヤ人の王ナザレのイエスを信仰していた可能性があります。
聖徳太子は天皇家の一員でしたが、その遺伝子には失われたイスラエルの10支族の一つエフライム族の血族であったように思います。「Y染色体」というDE系統(YAP)系統のDNAは、日本人やチベット人、そして古代イスラエル人に多いとされています。
聖徳太子は、生まれた場所が宮中の馬小屋の前であったため厩戸皇子と呼ばれていますが、イエス・キリストも聖書では馬小屋で生まれていると書かれています。そのため、聖徳太子はイエス・キリストと言われているわけです。
ただし、聖徳太子は西暦574年2月7日に生まれており、キリストの誕生と聖徳太子の誕生では、600年ほど時代が違います。
北イスラエル王国を脱出し、シルクロードを渡って日本にやってきた古代ユダヤこそ聖徳太子の本当の姿であるかもしれません。なぜかと言えば、聖書によるとイエス・キリストの子ども頃から30歳までの記述が一切ないからです。
古代イスラエルの「失われた10支族」の王族だったエフライム族の流れを汲む日本の天皇家
(出典:レムナント出版)
また、もう一人「秦河勝」という人物がいました。7世紀に活躍した人物であり、当時の秦氏の族長的人物であったとされています。秦の始皇帝の末裔であり、弓月国から百済を経て渡来した弓月君の直系子孫にあたります。
同時期、聖徳太子の側近として活躍し、富裕な商人でもあり朝廷の財政に関わっていたとも言われています。彼も古代イスラエル人であり、聖徳太子と同一人物である可能性があります。そして、古事記や日本書紀に登場する邇藝速日命(ニギハヤヒ)でもあるかもしれません。
京都の有名な観光地である太秦(うずまさ)は、明らかに秦氏の本拠地であったことを示しており、古代オリエントの言葉であるアラム語の「イシュ・メシャ」のことであり、日本語に直すと「イエス・キリスト」となっています。
ちなみに、メシヤ(救世主)はダビデ王の子孫から出ると旧約聖書で預言されていますが、太秦にある大酒神社は以前まで「大辟神社」書かれていました。「大辟」とは、中国語で「ダビデ王」を指すことがすでに明らかになっています。
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(出典:2019年10月22日 tenki.jp)
最後に、平安京の南側には八坂神社がありますが、八坂神社の周辺のことを「祇園」と呼ばれているわけです。秦氏の出身地である古代イスラエル王国では、エルサレムを首都とし、ダビデ王の子孫である聖徳太子が王として君臨していたのではないでしょうか?
ユダ王国の滅亡後、中国大陸、朝鮮半島を渡って日本に来た秦氏は、京都の地をエルサレム(「イール(都)」、「シャローム(平安)」)とし、一つに合わさって出来た言葉で、永遠の都であり魂の故郷としたということです。
エルサレムを日本の言葉に変換すると「平安京」とななりますが、シオンの丘も祇園(シオン)と命名して八坂神社を建立し、祭壇を祭っていたものと考えられます。
なお、本尊として聖徳太子をお祀りしている寺は多くはありませんが、御祭神として聖徳太子をお祀りしている神社は全国にあります。北海道では、道北の士別市に聖徳太子をお祀りする聖徳神社(士別神社の境内社)が鎮座しています。
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