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政治家や官僚たちの政治腐敗と南海トラフ巨大地震の関係性

2021/3/23


地理院地図 GSI Maps 国土地理院ホームページ
国土地理院へのリンク画像です。

(出典:国土地理院)


国土地理院の活断層マップを見ると、太平洋沿岸にはグリーンがほとんどを占めています。つまり、地盤が弱いということです。


一方、内陸や山側にはオレンジやレッドの地盤が点在しており、硬い岩盤で覆われていることがわかります。これを見ただけで、海沿いに家を建てることは危険であることを意味しています。今ある家も、南海トラフ巨大地震が起きると、津波で全て押し流されてしまいます。


結局、山から流れて来る川は地盤が弱いところや海抜が低いところを、長い年月をかけて侵食しています。この周辺で、先祖代々の農民たちは農業を続けてきたわけです。ちなみに、活断層は点線で表示されています。


歴史というのは、これまで何度も同じことを繰り返しています。日本書紀を読んでみると、416年の地震が初めて記載され、様々な歴史書に東日本大震災と同じ三陸沖での大地震や関東での大震災、南海トラフ巨大地震などが記載されてきました。


令和ゆかりの大宰府と張衡と道真、地震との深い因縁
2019年4月10日 Yahooニュースへのリンク画像です。

(出典:2019年4月10日 Yahooニュース)


869年に起きた「貞観(じょうがん)地震」は、東北沖(三陸沖)の海底を震源域として発生し、地震の規模はM8.3以上で津波被害があったとされています。この時代は、空海・最澄が中国から持ち帰った仏教文化が花開き「弘仁・貞観文化」と呼ばれました。


この貞観地震こそ、2011年の東日本大震災の「フラクタル現象」です。巨大地震は、800年〜1000年に一度のサイクルで起きていることがわかります。また、貞観地震から9年後の878年には「相模・武蔵(さがみ・むさし)地震」(M7.4)が起きています。


それから9年後の887年には、「仁和(にんな)地震」(M8.0〜8.5)が起き、東海・東南海・南海が三連動した南海トラフ沿いの巨大地震が発生し、大阪湾に大津波が襲い、四国沖・紀伊水道沖を震源地とする地震で海岸沿いは海水にのみ込まれたとされています。


今から1000年前の9世紀の平安時代では、現在のような中央集権的な律令政治が行われ、藤原氏による荘園の拡大の結果として、律令制と現実の乖離が大きくなっていき、政府は税金を上げて、さらに土地を対象に課税する支配体制へ方針転換しています。


要するに、現在の政治家や官僚たちの贈収賄事件や接待問題などの政治腐敗が目立っているように、当時の貴族や武家たちも私腹を肥やしたことで民衆が苦しんでいたのと「フラクタル」であるということです。


まるで東日本大震災のような貞観地震ですが、その18年後に東海・東南海・南海地震の三連動地震に類似した仁和地震が発生しています。単純計算では、2029年に南海トラフ巨大地震は起きることになります。


500年に一度の動乱期と感じる今、歴史に学び次なる大災害を乗り越えたい
2021年3月15日 Yahooニュースへのリンク画像です。

(出典:2021年3月15日 Yahooニュース)


当時、地方は治安が悪化し、無政府状態に陥って16世紀まで日本列島は戦国時代が続いていました。国家から土地経営や人民支配の権限を委譲された地主(有力百姓)は、自衛のために武士となり、国家から軍事警察権を委譲されています。


首都圏直下型地震や南海トラフ地震は、これまで規則的に100〜150年周期で発生しており、近年では1944年の「昭和東南地震」と1946年「昭和南海地震」の戦中・戦後の混乱期に「昭和地震」が発生しています。


このように、1000年前から大地震は起きているので、現代でも太平洋側にリスクがあるのは明らかです。活断層がある地域から離れることが求められていますが、実は日本列島は活断層だらけなので住む場所が限られているのが現状です。


できるだけ活断層から離れた土地を活断層マップなどで探し、昔から集落があった地域や寺や神社がある周辺に住むのも一つの手です。なぜかと言えば、地盤が固い場所に建立されていることがほとんどだからです。


私たち日本人は、2000年前に日本列島で暮らしていた縄文時代の人々の知恵を得る必要があります。そして、弥生時代以降の歴史から学び直すことで、本来の日本人としての在り方を取り戻すことが求められているように思います。


北海道沖で超巨大地震!? 専門家が400年前の津波被害を検証
2018年1月17日 ウェザーニュースへのリンク画像です。

(出典:2018年1月17日 ウェザーニュース)


北海道の場合、200年前まではアイヌ民族だけが住んでいましたが、彼らは地盤が固い場所に定住していたことがわかります。活断層も、彼らの居住地を避けるようにして存在していたことが興味深いです。


明治時代以降、多くの和人が北海道に移住してきましたが、彼らが活断層について知識があったようには思えません。当時の札幌は、アイヌのコタンと和人の入植者の家が点在していましたが、「北海道開拓の父」と呼ばれた島義武は、「五州第一の都」(世界一の都)を造るという構想を立てています。


モデルにした京都市や故郷の佐賀などを念頭に置き、碁盤の目のような整然とした市街を目指して工事を進めたことで、特に藻岩山や手稲山周辺は住みやすい場所を与えられ続けているわけです。

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