実は、物理学というのは、様々な分野で位置と質量の関係がはっきりしていないのが現状です。つまり、学者たちの多くがその時々の都合のいい論理を採用しているということです。
だから、論文などでは未来予測など何でも良いとされており、結果的に歯車の一つも設計できない大学教授がほとんどです。どのような仮説を立てたところで、現実の理解と合っている理論だけを使っているうちにやがて慣れてしまい、そういうものだという気がしてくるというわけです。
例えば、この現象が最もよく見られるのは社会制度に対する感情です。身分制度があった江戸時代は、最も生きやすかった時代とされています。ただし、身分制度を否定すると江戸時代ではすぐに刀で斬殺されたことが分かっています。まるで現代の中国のようです。
一方、おカネ万能の現代では、金融制度が支配階級の上位に位置しているため、ファンドマネージャーたちは投資運営に失敗すると路上で飢え死にする可能性があります。証券会社の社員や銀行員の性格が悪いのはこのためです。
しかし、人々が飢え死にし始めると、幕末に活躍した新撰組のように最下層の農民が武士制度を守るためのテロリストに変身することがあるわけです。
つまり、脳の情報処理の効率が上がると、意識もそれに追随していくということです。結局、現代の物理学というのも、銃弾や砲弾の的中率を上げるために作られた学問であることから、都合が悪くなると定義も変わっていかざるを得ません。
だからこそ、現代は農業に従事するしかない身分制度時代とは異なり、現在の民主主義のほうが産業社会の多様性に対応しているので、世界各国で採用されているだけということになります。
ところが、物理学では全て説明できなくなってきているのと連動して、社会構造の基盤も崩れてきています。こういう時に巨大なパラダイムシフトというのは発生しやすく、資本主義の有害性も明らかになってきました。
これまで信用によって成り立っていた政府や銀行、そして自然環境が壊れ始めているために、大衆の欲望を優先させる民主主義が一挙に崩壊する日がいよいよ近づきつつあります。
そこで私は、従業員に給与を与えているその人数に応じた選挙票数を持つ必要があるように思うわけです。なぜかと言えば、誰でも同じ1票を持つというのは、社会の流動性を保証し、いつでもリストラができるということになるからです。
いずれにしても、現代では経営者も従業員も勝手なことをして自然を破壊しているので、ない頭の制限が必要となっています。だからと言って、何でもカネで済ませる経営者を反省させるのは難しいと思います。
だからこそ、2020年頃には政府が全ての現金の価値をゼロにし、辛酸を舐めてもらわねばならないかもしれません。要するに、折り返した民主主義の条件というのは、自然環境の悪化か、軍事戦争、そして世界的なデフォルト(国家債務不履行)であるということです。
社会のルールも物理学と全く同じように、一旦リセットさせられてから反省し、ゼロから考え直す必要があると思います。しかし、自然と社会の両面でお互いに共有できない、ということは、思考を変えていくしかないのかもしれません。
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