欧米化で消えた。あの清く貧しく美しい日本は何処に行ったのか?
(出典:2017年4月16日MAG2ニュース)
2011年3月11日に起きた東日本大震災以降、日本人の劣化は私たちの想像以上に進んでいると思います。
実際に、企業経営者の多くが50代、60代はおろか、20代を採用してまで仕事をしてもらうという無駄な苦労をしたいとは全く考えていないのが現状です。しかし、誰でもいいから採用しなければ運営できなくなります。
私は、昨年までのように無理してまで無駄な人間と関わる必要はないと本気で考えるようになりました。今や、リーダーの話を理解できる人はほんのわずかとなり、期待することで自分がストレスによってうつ病になる可能性が高まりつつあります。
日本では、「何も言わずとも相手に気持ちを伝えたい…」という世界でも稀な文化を持っていました。このような「気持ち」は、韓国人や中国人とは顔は似ていても決定的に違う要素であるわけです。
公共の場での掃除などももそうですが、「係の人がやってくれるだろう…」という極めて欧米人的な考え方を、アメリカやヨーロッパに一度も行ったことがないのに、日本の若い人たちはこのように当たり前にしています。
例えば、公共の図書館やショッピングモールなどのフードコートでは、自分が座った椅子を元の位置に直して席を離れようとはしなくなりました。これは若い人だけではなく、年寄りもしなくなりつつあるように思います。
しかし、一部の日本人にはまだまだ「気遣い」があり、係の人のことを思いやって自分も見えるゴミは拾うのをたまに見かけます。また、誰かの落し物を自分のものにするのでなく、そっと別の場所に置いて持ち主に気づいてもらおうとすることを感じられます。
つまり、誰かに言われることなく、命令されるわけでもないまま「自分の心の中にいる判断によって物事を自分で決めて行動する」必要があるということです。日本では、それを「道徳感がある人」と呼んでいます。
一方、「法に触れないなら何をしても許される」というのが「道徳観がない人間」です。目立つところでは、安倍政権の閣僚や官僚、役人、企業経営者と幹部たち、テレビに出てくる一部の芸能人などがそれに当たります。
だからこそ、安倍政権が「小学校の授業に道徳教育を正式科目として入れようとしているわけです。ところが、道徳というのは諸刃の剣であるため、誰かに命令されても身につくものではないのは明らかです。そして、その集大成が「愛国心」となることを知る人は少ないようです。
特別の教科となった道徳、以前とどこが変わったのか
(出典:2019年12月11日日本教育新聞)
人間は、自分の国の文化や自然などを通じて何かを感じることができるようになることで、はじめてそこで自分が小さな存在でしかないことを自覚するものです。そうして、自分の周辺にいる人やモノを大事にしようと思うようになります。
40代にもなれば、春夏秋冬それぞれの四季を強く感じるようになり、動植物の喜怒哀楽さえ感じるようになるはずです。このように、あらゆる生き物に対して親しみを持つようになり、それを粗末に扱われることに悲しみを感じるようになるかもしれません。
やがて、私たちが日々暮らしている日本を大事にし、国土を守る必要があることも理解できるようになると思います。果たして、そのように思う日本国民はどれほどいるのでしょうか?
いずれにしても、道徳や愛国心というのは誰かが教えるものではないことから、政府や文科省が強制して授業に組み込んだり、テレビCMなどで流したとしても無意味であるということです。
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