最近、新卒で企業に採用された若者を見ていると、思考力について疑いたくなる場面に出くわすことが多くなりつつあります。
特に、私たち30代、40代を検索エンジンであるGoogleのように考えている節があるように思います。30代、40代に限らず、他者全てに対してスマホ世代の彼らはよく考えずに質問したり、すぐにネットで調べる特徴があります。
ところが、彼らにはそもそもの検索能力が不足しており、当然、自分自身の中で答えがまとまっていないことがあり、話を聞いていても支離滅裂なところが時々見られることがあります。例えば、Google検索した際、検索ワードを絞り込めず、目的地にたどり着けないことがあるということです。
私は、特に検索上位の話題に上がることしか知らないというのが、その理由ではないかと考えています。また、スマホ世代の若者の特徴として「流行に乗りやすい」というのも、情報リテラシー能力の無さとともにかなり気になっています。
いずれにしても、物事の筋書きや目的、逆算が苦手なところがあり、そしてコミュニケーション能力がほぼセロというべき若者がたくさんいます。もはや企業などで人事担当はその人物を選んでいないことは明らかです。
ただし、彼らの多くが大学を卒業しており、中でも北海道大学など一応名の知れている大学出身であることも驚きです。インターネット上にある様々な情報を得る中で、完全にみんな同じ、平均化した日本教育の悪さがこういったところに出てきているのを感じてしまうわけです。
「人」というのは何かをいろいろと覚えさせれば自然に「考える」ようになってしまう性質があります。しかし、日本の教育では「考えさせない」ことが役割になっているため、学校ではどうやって子どもたちを考えさせないようにしているのでしょうか?
それには、まず暗記を押し付けて「考えさせない」ようにし、苦手を押し付けて「考えさせない」ようにし、そして制服を押し付けて「考えさせない」ようにし、また規則を押し付けて「考えさせない」ようにし、さらに団体行動を押し付けて「考えさせない」ようにすることで、成し遂げられているように考えられます。
日本の教育現場では、実際に学校は考える余裕がなくなるほど暗記させています。そして、暗記を子どもにひたすらやらせると自然と右脳が使えなくなり、脳全体で考える暇がなくなるわけです。
私が言いたいことは、暗記教育が全て悪いわけではないですが、暗記重視によって「考える」という部分が消失してしまうようにしていることが問題だということです。得意なことを伸ばさず、苦手を克服するように仕向けるのも、考えさせるのを嫌にするための手法だと考えられます。
誰もが苦手なものを考えるのは苦痛なものですが、その苦痛を押しつけることによって、考えることそのものを苦痛にしてしまうわけです。その結果、海外で正しい教育を受けた人の一部以外、日本人の誰も考えなくなっています。
いよいよ少子高齢化社会の真っ只中にいる若者たちが骨抜きにされているわけですが、TwitterやLINEなどのグループチャットの登場によって、どうやらプライベートと仕事の垣根がなくなりつつあり、リアルとバーチャルの違いさえわからなくなっているのかもしれません。
これまで他国と比較してノホホンと生きてきた多くの日本人ですが、憲法や三権分立、経済の仕組みについて簡単に話したところで理解できない方が多く、私自身、それでもかなりレベルを落として説明してきましたが、いよいよどこまでレベルを落とせばいいのかもわからなくなってきました。
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