この10連休の間、テレビや新聞などが「令和、令和…」と連日のように大騒ぎしています。正直、もうウンザリしてきているわけです。
マスメディアは「令和」を連発していますが、私自身、「平成」という元号と比較して大きく見劣りしていると感じています。新元号に大喜びする国民が毎日のようにテレビに登場していますが、誰か知らないが偉い人が決めたのだからと、何の抵抗もなく、受け入れているようにも見えます。
これまで上皇は、安倍政権に対して前々から強い懸念を抱いておられていましたが、ついにイギリスBBCが、日本ではタブーとなっている皇室VS安倍政権の暗闘構造を指摘するようになりました。
一方、NHKを筆頭とした日本のマスメディアは令和時代に入っても、未だに安倍政権に忖度しています。上皇は、崩御されるまで安倍政権(清和会)から国民を守ることに専念されるものと思われます。
だからこそ、私たち日本人は、皇室の安倍政権に対する暗黙の抵抗に気付くべきです。
天皇陛下、その人間らしさ
「安倍氏は、日本がいま享受している平和と繁栄は、300万人の戦死者のおかげだと述べた」
「翌日、陛下はそれを否定した。陛下は日本がいま享受している繁栄は、国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識によるものだと、お言葉で述べた」
安倍首相は、新天皇の前で自分のことを国民の代表と言い放っていますが、厚かましいにもほどがあります。安倍首相本人は、自分の発言が厚かましいものという認識は一切ないように見えます。
このような安倍首相の思考回路は、何か幼稚さが感じられるわけですが、日本の総理大臣は大統領と異なり、国民が直接選んだ地位ではないということです。
私個人を含め、安倍政権を支持していない国民の方がむしろ多数派なのは、とりわけネット世論では当たり前のことです。自民党や安倍政権の支持者は少数派というのが本当のところです。
したがって、安倍首相は「自分を国民の代表」と新天皇の前で言うこと自体が、見苦しく、おこがましいということです。このような厚かましいことが平気でできる安倍首相というのは、恥の概念が欠落しており、もともと日本人ではないのかもしれません。
いずれにしても、安倍首相と上皇とは「人間の格」があまりに違いすぎることがわかるはずです。
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